2022年11月30日

地上ではかならずしも正義が勝つとはかぎりません。



地上ではかならずしも正義が勝つとはかぎりません。なぜなら因果律はかならずしも地上生活中に成就されるとはかぎらないからです。ですが、地上生活を超えた長い目で見れば、因果律は一分の狂いもなく働き、天秤はかならずその平衡を取りもどします。

霊的に観て、あなたにとって何が一番望ましいかは、あなた自身にはわかりません。もしかしたら、あなたにとって一ばんイヤなことが実は、あなたの祈りに対する最高の回答であることも有りうるのです。

ですから、なかなかむずかしいことではありますが、物事は物的尺度ではなく霊的尺度で判断するよう努めることです。というのは、あなた方にとって悲劇と思えることが、私どもから見れば幸運と思えることがあり、あなた方にとって幸福と思えることが、私どもから見れば不幸だと思えることもあるのです。祈りはそれなりの回答が与えられます。

しかしそれはかならずしもあなたがたが望んでいる通りの形ではなく、その時のあなたの霊的成長にとって一ばん望ましい形で与えられます。神は決してわが子を見棄てるようなことは致しません。しかし神が施されることを地上的な物さしで批判することはやめなければいけません。
  


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2022年11月29日

私たちの願いはあなた方に生き甲斐ある人生を送ってもらいたい・・・・・



私たちの願いはあなた方に生き甲斐ある人生を送ってもらいたい。持てる知能と技能と天賦の才とを存分に発揮させてあげたい。そうすることが地上に生を享けた真の目的を成就することにつながり、死と共に始まる次の段階の生活に備えることにもなる。そう願っているのです。

こちらでは霊性がすべてを決します。霊的自我こそ全てを律する実在なのです。そこでは仮面も見せかけも逃げ口上もごまかしもききません。すべてが知れてしまうのです。

私に対する感謝は無用です。感謝は神に捧げるべきものです。私どもはその神の僕にすぎません。神の仕事を推進しているだけです。よろこびと楽しみを持ってこの仕事に携わってまいりました。もしも私の語ったことがあなたがたに何かの力となったとすれば、それは私が神の摂理を語っているからにほかなりません。

あなたがたは、ついぞ、私の姿をご覧になりませんでした。この霊媒の口を使って語る声でしか私をご存知ないわけです。が信じて下さい。私も物事を感じ、知り、そして愛することの出来る能力を具えた実在の人間です。

こちらの世界こそ実在の世界であり、地上は実在の世界ではないのです。そのことは地上という惑星を離れるまでは理解できないことかも知れません。

では最後に皆さんと共に、こうして死の淵を隔てた二つの世界の者が、幾多の障害をのり超えて、霊と霊、心と心で一体に結ばれる機会を得たことに対し、神に感謝の祈りを捧げましょう。

神よ、忝(カタジケナ)くもあなたは私たちに御力の証を授け給い、私たちが睦み合い求め合って魂に宿れる御力を発揮することを得さしめ給いました。あなたを求めて数知れぬ御子らが無数の曲りくねった道をさ迷っております。

幸いにも御心を知り得た私たちは、切望する御子らにそれを知らしめんと努力いたしております。願わくはその志を佳しとされ、限りなき御手の存在を知らしめ給い、温かき御胸こそ魂の憩の場となることを知らしめ給わんことを。

では神の御恵みの多からんことを。
                                            


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2022年11月28日

地上世界の無知による弊害を見るに忍びず・・・・・



地上世界の無知による弊害を見るに忍びず、これは何としても思い切った手段を講じて霊的実在に関する正しい知識を普及させなければとの決断がなされました。私がこうして何十年にもわたってこのサークルで語り続けているのもその一環です。

〝霊的〟というと何か摑みどころのない神秘的なものを想像なさりがちですが、そうではなくて実在そのものなのです。何代にもわたって引き継がれてきた誤解・無知・偏見・虚言・虚偽・迷信───要するに無数の人類を暗黒の抑圧の中に閉じ込めてきた勢力を取り除かねばなりませんでしたし、今なおそれを続けております。
  


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2022年11月26日

タネ蒔きと収獲(絶対不変)の摂理。



蒔いたタネが実りをもたらすのです。タネは正直です。トマトのタネを蒔いてレタスができることはありません。蒔かれた原因(たね)は大自然の摂理に正直に従ってそれなりの結果(みのり)をもたらします。自然界ついて言えることは人間界についてもそのまま当てはまります。

利己主義のタネを蒔いた人は利己主義の結果を刈り取らねばなりません。罪を犯した人はその罪の結果を刈り取らねばなりません。寛容性のない人、頑(かたくな)な人、利己的な人は、不寛容と頑固と利己主義の結果を刈り取らねばなりません。この摂理は変えられません。永遠に不変です。

発生した原因は数学的・機械的正確さをもって結果を生み出します。聖職者であろうと、聖職者でなかろうと、その大自然の摂理に干渉することはできません。

霊的成長を望む者は霊的成長を促すような生活をするほかはありません。

その霊的成長は思いやりの心、寛容の精神、同情心、愛、無私の行為、そして仕事を立派に仕上げることを通して得られます。言いかえれば内部の神性が日常生活において発揮されてはじめて成長するのです。邪な心、憎しみ、悪意、復讐心、利己心といったものを抱いているようでは、自分自身が犠牲となり、歪んだ、ひねくれた性格という形となって代償を支払わされます。

人間は自分の魂の庭師のようなものです。魂が叡智と崇高さと美しさを増していく上で必要なものは神がぜんぶ用意してくださっております。材料は揃っているのです。あとは各自がそれをいかに有効に使用するかに掛かっております。

  


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2022年11月25日

死は霊の第二の誕生です。



死は霊の第二の誕生です。第一の誕生は地上へ生を受けて肉体を通して表現し始めた時です。第二の誕生はその肉体に別れを告げて霊界へ赴き、無限の進化へ向けての永遠の道を途切れることなく歩み始めた時です。

あなたは死のうにも死ねないのです。生命に死はないのです。不滅の個霊としてのあなたはその肉体の死後も生き続け、あなたという個的存在を構成しているものはすべて存続するという事実を立証するだけの証拠は、すでに揃っております。

死後も立派に意識があり、自覚があり、記憶があり、理性を働かせ愛を表現する力が具わっています。愛は神性の一つなのです。愛はその最高の形においては神々しさを帯びたものとなります。そして、生命と同じく、不滅です。
  


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2022年11月24日

死後にも生命は存在します。



死後にも生命は存在します。いわゆる〝故人〟も今なお生き続けております。地上圏へ戻ろうと思えば戻れますし、現に戻っております。しかし、ただそれだけの表面上のことだけでこの問題を片づけてはなりません。

なぜ生き続けることができるのか、どういう過程で甦るのか、新しい生活にとってそれまでの生活はどういう影響を及ぼすのか、地上と霊界とはどういうつながりになっているのか、死の門をくぐったあとにどういう体験をしているか───

地上での言動や思想が向上を促しているか足を引っ張っているか、地上の人間に伝えるべき教訓として何を学んでいるか・・・・・・こうしたことが宗教にも科学にも政治にも経済にも芸術にも国際関係にも影響を及ぼすのです。永い間人類を苦しめてきた問題に新たな光を当てることになるからです。

  


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2022年11月23日

自殺について。



自殺行為によって地上生活に終止符を打つようなことは絶対にすべきではありません。もしそのようなことをしたら、それ相当の代償を支払わねばならなくなります。それが自然の摂理なのです。

地上の誰一人として、何かの手違いのために、その人が克服できないほどの障害に遭遇するようなことは絶対にありません。

その障害物は、その人の性格と霊の発達と成長にとって必要だからこそ与えられているのです。苦しいからといって地上生活にさよならしても、その苦しみが消えるわけではありません。それはあり得ないことです。地上であろうと霊界であろうと、神の公正から逃れることはできません。

あなたの魂はあなた自身の行為によって処罰を受けます。みんな自分の手で自分の人生を書き綴っているのです。いったん書き記したものは二度と書き換えるわけにはいきません。ごまかしはきかないのです。自分で自分を処罰するのです。その法則は絶対であり不変です。

いかなる事態も本人が思っているほど暗いものではありません。その気になれば必ず光が見えてきます。魂の奥に沈む勇気が湧き出てきます。責任を全うしようとしたことが評価されて、その分だけ霊界からの援助のチャンスも増えます。

背負い切れないほどの荷はけっして負わされません。なぜなら、その荷は自分の悪業がこしらえたものだからです。けっして神が〝この人間にはこれだけのものを負わせてやろう〟と考えて当てがうような、そんないい加減なものではありません。

宇宙の絶対的な法則の働きによって、その人間がその時までに犯した法則違反に応じて、きっちりとその重さと同じ重さの荷を背負うことになるのです。となれば、それだけの荷をこしらえることが出来たのだから、それを取り除くことも出来るのが道理のはずです。つまり悪いこと、あるいは間違ったことをした時のエネルギーを正しく使えば、それを元通りにすることが出来るはずです。


  


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2022年11月21日

霊的に進化するにつれて人間は・・・・・



霊的に進化するにつれて人間は、霊的実在についての知識を基盤とした明確な原理にのっとって生きなければならないことを自覚するようになります。所詮完璧な生き方は望むべくもありませんが、改善の余地は大いにあります。

地球は生命活動の場の一つに過ぎません。これからもっともっと多くの生活の場を体験することになっております。

それが永遠に続くのです。地上生活なんかいい加減に送ればよいと言っているのではありません。あなたが送るべき全生活のほんのひとかけらに過ぎないことを申し上げているのです。

その地球をよりよい生活の場とするために努力なさってください。地球は宇宙の惑星の中で最も進化の程度の低い部類に属します。が、それなりの進化の目標があります。

同時に、進化とは永遠の過程でもあります。完全ということは永遠に達成できないのです。なぜなら、完全に近づけば近づくほど、その先にまだ達成すべきものがあることを知るからです。
  


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2022年11月20日

時として人生が不公平に思えることがあります。



時として人生が不公平に思えることがあります。ある人は苦労も苦痛も心配もない人生を送り、ある人は光を求めながら生涯を暗闇の中で生きているように思えることがあります。しかしその観方は事実の反面しか見ておりません。まだまだ未知の要素があることに気づいておりません。

私はあなた方に較べれば遥かに長い年月を生き、宇宙の摂理の働き具合を遥かに多く見てきましたが、私はその摂理に絶対的敬意を表します。なぜなら、

神の摂理がその通りに働かなかった例を一つとして知らないからです。こちらへ来た人間が〝自分は両方の世界を体験したが私は不公平な扱いを受けている〟などと言えるような不当な扱いを受けている例を私は一つも知りません。神は絶対に誤りを犯しません。

もしも誤りを犯すことがあったら宇宙は明日という日も覚束(おぼつか)ないことになります。あなた方が誕生する遥か以前から地球は存在し、あなた方が去った後も延々と存在し続けます。

何億年の昔、まだ地上に何一つ生物の存在しなかった時から太陽は地球を照らし続け、人間が誰一人居ない時からエネルギーをふんだんに放射し続け、そのおかげで石炭その他の、太陽エネルギーの貯蔵物を燃料とすることが出来ているのです。何と悠長な教訓でしょう。
  


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2022年11月19日

大切なのは取り越し苦労をしないということです。



大切なのは取り越し苦労をしないということです。心配の念は私たち霊界から援助する者にとって非常に厄介な障害です。拒否的性質があります。腐食性があります。恐れ・心配・不安、こうしたものはその人を包む物的・精神的・霊的雰囲気を乱し、私たちが近づくのを一段と困難にします。

真理を知った者は、それがわずかであっても───たとえ多くを知ったとて、無限の真理からすれば多寡が知れています───いついかなる事態に直面しても、穏やかで平静で受容的態度を維持すべきですし、又そう努力すべきです。

全生命に存在を与えている霊力より強力なものはないとの断固たる自信に満ちていなければなりません。

何度でも繰り返し申し上げられる私からのメッセージがあるとすれば、それは〝心配の念を棄てなさい。そうすれば内部に静穏が得られます。内部が静穏になれば外部も静穏になります〟ということです。
  


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