2017年04月26日

動物は死後どうなるか(12)



問「犬の次に進化している動物は何ですか。猫ですか猿ですか」

「猫です」

問「なぜ猿ではないのでしょう。人間と非常によく似ていると思うのですが」

「前にも述べましたが、進化というのは一本道ではありません。

かならず優等生と劣等生とがいます。

人間はたしかに猿から進化しましたが、その猿を犬が抜き去ったのです。

その大きな理由は人間が犬を可愛がったからです」

問「犬が人間の次に進化しているから可愛がるのだと思っていましたが・・・・・」

「それもそうですが、同時に人間の側の好き嫌いもあります。

それからこの問題にはもう一つの側面があるのですが、ちょっと説明できません。

長い長い進化の道程において、猿はいわば足をすべらせて後退し、残忍にはならなかったのですが、ケンカっぽく、そして怠けっぽくなって歩みを止めてしまい、結局類魂全体の進化が遅れたのです。

それと同時に、というより、ほぼその時期に相前後して、犬の種属が進化してきました。

猿より類魂全体の団結心が強く、無欲性に富んでいたからです。

しかしどうも話が複雑になりすぎたようです」

問「猿の種属が法則を犯したのでしょうか」

「法則を犯したというのではなく、当然しなければならないことをしなかったということです」

問「では猿と同じように、将来、犬が進化の階段をすべり落ちるということもあり得るのでしょうか」

「それはもう有り得ないでしょう。というのは、すでに何百年もの進化の過程を辿って来て、地上の種がすっかり固定してしまったからです。

種の型がほとんど定型化して、これ以上の変化の生じる可能性はなくなりつつあります。

物質的進化には限度があります。

形体上の細かい変化はあるかも知れませんが、本質的な機能上の変化は考えられません。

細かい変化は生じても、すっかり形体が変わることはありません。

たとえば人間の場合を考えてごらんなさい。

現在の型、すなわち二本の腕と脚、二つの目と一つの鼻が大きく変化することは考えられません。

これが人間の標準の型となったわけです。

もちろん民族により地方によって鼻とか目の形が少しずつ違いますが、型は同じです。

動物の場合はこの傾向がもっと強くて、霊界の類魂に突然変異が発生することはあっても、それが地上の動物の型を大きく変化させることはまずないでしょう」

問「猿の転落もやはり自由意志に関連した問題ですか」

「それは違います。

自由意志は個的存在の問題ですが、動物の場合は類魂全体としての問題だからです」

問「動物に個体としての意識がないのに、なぜ類魂全体としての判断が出来るのですか」

「本能による行動と本能の欠如による行動の違いがあります。

個々には理性的判断力のない動物でも、働くか怠けるかを選ぶ力はあります。

必要性に対して然るべく対処するかしないかの選択です。

そこで種としての本能が伸びたり衰えたりします。

個々には判断力はなくても、長い進化の過程において、種全体として然るべき対処を怠るという時期があるわけです。

問「それは植物の場合にも言えるわけですか」

「言えます」

問「それは外的要因によっても生じるのではないですか」

「それはそうですが、あなたのおっしゃる外的というのは実は内的でもあるのです。

それに加えて更に、霊界からコントロールする霊団の存在も考慮しなくてはいけません。

その霊団もまた法則、進取性、進歩といった要素に支配されます。

問「たとえば猿の好物であるナッツが豊富にあれば、それが猿を怠惰にさせるということが考えられませんか」

「そういうことも考えられますが、ではナッツがなぜ豊富にあったかという点を考えると、そこには宇宙の法則の働きを考慮しなくてはいけません。

つまり人間の目には外的な要因のように見えても、霊界から見れば内的な要因が働いているのです。

私の言わんとしているのはその点なのです。

人間はとかく宇宙の法則を何か生命のない機械的な、融通性のないもののように想像しがちですが、実際は法則と法則との絡まり合いがあり、ある次元の法則が別の次元の法則の支配を受けることもありますし、その根源において完全にして無限なる叡智によって支配監督されているのです。

法則にもまず基本の型というものがあって、それにいろいろとバリエーション(変化)が生じます。

といっても、その基本の型の外に出ることは絶対に出来ません。

どんなに反抗してみたところで、その法のワクはどうしょうにもなく、結局は順応していくほかはありません。

しかし、同じ型の中にあって、努力次第でそれを豊かで意義あるものとしていくことも出来るし、窮屈で味気のないものにしてしまうことも出来ます。

別の言い方をすれば、その法則に調和した色彩を施すのも、あるいはみっともない色彩をぬりつけてしまうのもあなた次第ということです。

いずれにせよ、最後は型に収まります」



  


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2017年04月23日

ヴァイツゼッカー(ドイツ連邦共和国第6代大統領)



罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。

だれもが過去からの帰結に関わり合っており、過去に対する責任を負わされております。
 
心に刻みつづけることがなぜかくも重要なのかを理解するために、老幼たがいに助け合わねばなりません。

また助け合えるのであります。
 
問題は過去を克服することではありません。

さようなことができるわけはありません。

後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。

しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。

非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。


リヒャルト・カール・フォン・ヴァイツゼッカー(ドイツ連邦共和国第6代大統領)
  


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2017年04月22日

動物は死後どうなるか(11)



問「動物にはいわゆる第六感というのがあって災害を予知したり、知らないところからでもちゃんと帰って来たりしますが、これも心霊能力ですか」

「そうです。

霊能者にも同じことが出来ます。

ただ動物の場合はその種属特有の先天的能力である場合があります。

これも一種の進化の先がけで、その能力だけがとくに発達したわけです。

ハトのようにどんなに遠くからでも帰ってくる能力もそれです。

本能と呼ばれていますが、一種の「先見の明」です」

問「死んだばかりの犬が別の犬と連れだって出て来ている様子を霊能者が告げてくれることがありますが、犬同士でも助け合うことがあるのですか」

「ありません。ただし地上でその二匹が一緒に暮らした経験があれば連れだって出ることはあります」

問「その手助けをする人間の霊がかならずいるのでしょうか」

「そうです。高い者が低い者を援助することになっているのです。

それが摂理です」

問「動物界にはどんな種類の動物がいるのでしょうか」

「地上で可愛がられている動物、親しまれている動物、大切にされている動物、人間とほとんど同等に扱われて知性や思考力を刺激された動物のすべてがおります。

そうした動物は飼主の手から離れたことでさびしがったり迷ったりするといけないので、動物界に連れてこられて、他の動物といっしょに暮らしながら、動物の専門家の特別の看護を受けます。

その専門家は永いあいだ動物の研究をしてきていますので、その正しい対処の仕方を心得ており、自然な情愛の発露を動物へ向けることができるのです。

そこに動物をよろこばせるものが何でも揃っており、やりたいことが何でも出来るので、イライラすることがありません。

そして時には地上にいる飼主の家の雰囲気内まで連れてこられ、しばしその懐かしい雰囲気を味わいます。

心霊知識のない人でも自分の飼っていた犬を見たとか猫が出たとか言ってさわぐのはそんな時のことです。

何となくあの辺にいたような気がするといった程度にすぎないのですが、地上の動物の目にはちゃんと見えています。

霊視能力が発達しているからです」

問「動物界で世話をしている人間が連れてくるわけですか」

「動物界でその管理に当たっている人たちで、それ以外の人について戻ってくることはありません。

ところで、その世話をしている人はどんな人たちだと思いますか。

動物が大好きなのに飼うチャンスがなかった人たちです。

それはちょうど子供が出来なくて母性本能が満たされなかった女性が、両親に先立って霊界に来た子供の世話をするのといっしょです。

犬とか猫、その他、人間が可愛がっている動物が飼主に先立ってこちらに来ると、動物が大好きでありながら存分に動物との触れ合いが持てなかった人間によって世話をされるのです。

もちろん獣医のような動物の専門家がちゃんと控えております。

知識は何一つ無駄にはされません」

問「病気で死亡した動物の場合も人間と同じように看護されるのですか」

「そうです。そうしたチャンスをよろこんで引き受けてくれる人が大勢います」

問「動物界は種類別に分けられているのですか、それとも全部が混ざり合っているのですか」

「種属の別ははっきりしています」

問「動物界は一つでも、それぞれの境界があるということですか」

「そうです。

とにかく自然に出来あがっております。

一つの大きなオリの中に飼われているのではありません」

問「猫は猫、犬は犬に分けられているわけですか」

「その通りです」

問「特に仲のよかったものは別でしょう。その場合は互いに境界の近くに来るわけですか」

「そういうことです。

すべてが至って自然に出来上あがっていると考えて下さい」
  


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2017年04月22日

動物は死後どうなるか(10)



問「動物同士は殺し合っているのに、なぜ人間は動物実験をやってはいけないのでしょう」

「それが人間の進化の指標だからです。

人間が進化すればするほど地上から残忍性と野蛮性が消えていきます。

愛と慈しみと寛容の精神が地上にみなぎった時、動物の残忍性も消えて、それこそライオンと子羊が仲良く寄りそうようになります」

問「しかし動物の残忍性も動物としての発達の表れではないでしょうか」

「あなたもかっては動物だったのですよ。

それがここまで進化してきた。

だからこそ太古に比べれば動物界でもずいぶん残忍性が減ってきているのです。

トカゲ類で絶滅したのもいます。

なぜ絶滅したと思いますか。

人間が進化したからです」

問「おとなしい動物の中にも絶滅したものがいますが・・・・・」

「進化の一ばんの指標が残忍性に出るといっているのです。

太古でも進化上の枝分かれがいくつもありました。

それらは進化の先進者とでも言うべきものです。

進化というのはどの段階においても一定の型にはまったものではありません。

優等生もおれば劣等生もおり、模範生もおれば、反逆児もおります。

おとなしい動物はさしずめ「火を吐く怪獣」を追い抜いた優等生だったわけです」

問「寄生虫の類も動物と同じ類魂の中に入っていくのですか」

「違います」

問「動物の類魂は一つだけではないということですか」

「各種属にそれぞれの類魂がいます」

問「それが更に細分化しているわけですか」

「そうです。

細分化したものにもそれぞれの類魂がおります。

新しい霊 ― 初めて人間の身体宿る霊は、動物の類魂の中の最も進化した類魂です」

問「やはりサイクルを画きながら進化していくのでしょうか」

「そうです。

すべてサイクル状に進化します」

問「動物で一ばん進化しているのは何ですか」

「犬です」

問「寄生虫の類魂の存在は害を及ぼしますか」

「別に害はありません。

全体のバランスから見て、ほとんど取るに足らぬ勢力ですから。

でもこれはふだんあまり触れることのない深入りした質問ですよ」

問「動物の類魂の住処(すみか)はやはり動物界にあるのですか」

「私にはあなたより有利な点が一つあります。

それは地理を学ばなくてもいいということです。

場所とか位置がいらないのです。

霊的なものは空間を占領しないのです。

地上的な位置の感覚で考えるからそういう質問が出てくるのです。

魂には居住地はいりません。

もっとも、形体の中に宿れば別です。

類魂そのものには形体はありません。

もしも形体をもつとなれば、何らかの表現形態に宿り、その形態で自己表現できる場が必要になります」

問「動物の類魂は地球上に対して何か物質的なエネルギーを供給しているのでしょうか。

地球にとってそれなりの存在価値があるのでしょうか」

「進化の過程においての存在価値はあります。

ただ気をつけていただきたいのは、どうもあなたがたは物的なものと霊的なものとをあまりに区別しすぎるきらいがあります。

地上に存在していても立派に類魂の一部でありうるわけで、死ななければ類魂の仲間入りが出来ないわけではありません」

問「ペットも睡眠中に霊界を訪れますか」

「訪れません」

問「では死んでから行く世界にまるで馴染みがないわけですか」

「ありません。人間の場合は指導霊が手を引いて案内してくれますが、動物の場合はそれが出来るのは飼主だけです。

飼主が地上にいれば案内できません」

問「飼主が先に死んだ場合はどうなりますか」

「その場合は事情が違ってきます。

いま述べたのは一般的な話です」

問「人間より動物の方が心霊能力がすぐれている場合があるのはどうしてですか」

「進化の観点からいえばまだ人間となる段階には達していませんが、人間がいま送っているような「文化生活」を体験していないからです。

人間がもしも文化生活の「恩恵」に浴さなかったら、もっと早い段階で心霊能力が普段の生活の一部となっていたはずです。

つまり人間は文明と引き換えに心霊能力を犠牲にしたわけです。

動物には人間のような金銭問題もなく、社会問題もないので、本来なら人間が到達すべきであった段階へ人間より先に到達したのです。

人間の場合は物的生活の必要性から本来の心霊能力が押さえ込まれてしまったわけです。

いわゆる霊能者というのは進化のコースの先駆者です。

いずれは人間の総てが発揮するはずの能力をいま発揮しているわけです」


  


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2017年04月21日

ペリリュー島の戦い



先の大戦末期、狂気の戦場ペリリュー島で、ある瞬間人間性を取り戻し、苦痛に苦しむ兵士の姿…。

殺した敵兵のポケットの写真を見ると、母親と幼い兄弟が写っていた。

それを見て「自分は何をしてしまったのだろう」と顔を覆い、いつまでもその場から動けなった兵士…。

戦争に正義も勝者も、存在はしない。
  


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2017年04月19日

動物は死後どうなるか(9)



問「それは、たとえばハエのようなものには当てはまらないでしょう」

「いいですか。

大自然全体は今なお進化の過程にあるのです。

自然界のバランスは人類の行為如何によって左右されており、人類が進化すればするほど、自然界の暗黒が減っていくのです。

人間の霊性の発達と自然界の現象との間には密接な関係があるのです。

人間の存在を抜きにした自然界は考えられないし、自然界を抜きにした人間の進化はあり得ません。

双方の進化は大体において平行線を辿っています。

人間は神によって創造されたものであると同時に、神の一部として、宇宙の進化の推進者であり、自分自身のみならず、自分の属する国家をも支配する自然法則に影響を及ぼします。

私は今、人間と自然界の進化は大体おいて平行線を辿ると言いました。

両者にはどうしても少しずつズレが出てくるのです。

なぜなら、過去の世代が残した業はかならず処理していかねばならないからです」

問「今おっしゃったことは恐ろしい野獣についても当てはまるのでしょうか」

「一応当てはまります。

ただ忘れないでいただきたいのは、進化というのは一定の型にはまったものではないことです。

いろいろと変化をしながら永遠に続くのです。

原始的なものからスタートして低い段階から高い段階へと進むのですが、かっては低いところにいたものが次第に追い抜いて今では高い所にいたり、いま高いところに位置しているものが、将来は低い方になることもあります」

問「では進化にも後戻りということがあるわけですか」

「それを後戻りと呼ぶのであればイエスという答えになりましょう。

というのは、進化というのは一種の円運動(サイクル)、現代の思想家の言葉を借りれば螺旋(らせん)(スパイラル)を画きながら進むものだからです。

どちらの言い方でもかまいません。

要は進化というものが常に一直線に進むものではないことを理解していただけばよろしい。

一歩進んでは後退し、二歩進んでは後退し、ということを繰り返しながら延々と続くのです」
  


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2017年04月16日

ハンナ・アーレント



「世界最大の悪は、平凡な人間が行う悪なのです。そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない。人間であることを拒絶した者なのです。そしてこの現象を、私は『悪の凡庸さ』と名づけました」

「(アイヒマンの仕事に関与したユダヤ人指導者に対して)非難など一度もしていません。彼らは非力でした。でも、たぶん、抵抗と協力の中間に位置する何かは……あったはず、この点に関してのみ言います。違う振る舞いができた指導者もいたのではと」

「そして、この問いを投げかけることが大事なんです。ユダヤ人指導者の役割から見えてくるのは、モラルの完全なる崩壊です。ナチが欧州社会にもたらしたものです。ドイツだけでなく、ほとんどの国にね」

「ソクラテスやプラトン以来私たちは“思考”をこう考えます。自分自身との静かな対話だと。人間であることを拒否したアイヒマンは、人間の大切な質を放棄しました。それは思考する能力です。その結果、モラルまで判断不能となりました。思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。過去に例がないほど大規模な悪事をね。“思考の嵐”がもたらすのは、知識ではありません。善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です。私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。危機的状況にあっても、考え抜くことで破滅に至らぬよう」


ハンナ・アーレント
  


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2017年04月14日

動物は死後どうなるか(8)



問「動物がようやく人間として誕生しても、その人生がみじめな失敗に終わった場合は、再び動物界へ戻るのでしょうか」

「そういうことはありません。

一たん人間として自我意識を具えたら、二度と消えることはありません。

それが絶対に切れることのない神との絆なのです」

問「屠殺とか動物実験等の犠牲になった場合の代償 — いわゆる埋め合わせの法則はどうなっていますか」

「もちろんそれにもそれなりの埋め合わせがありますが、一匹とか一頭とかについてではなく、その動物の属する類魂全体を単位として法則が働きます。

進化の程度が異なる動物と人間とでは因果律の働き方が違うのです。

特に動物の場合は原則として死後は類魂の中に個性を埋没してしまうので、個的存在とは条件が異なります。

類魂全体としての因果律があるのですが、残念ながら人間の言語では説明のしょうがありません。

譬えるものが見当たりません」

問「シラミとかダニの寄生虫は人間の邪心の産物だという人がいますが、本当でしょうか。あれはホコリとか病気などの自然の産物ではないかと思うのですが・・・・・」

「そのホコリや病気は一体何が原因で生じるのでしょうか。原因を辿れば人間の利己心に行きつくのではありませんか。

その利己心はすなわち邪心と言えます。

たしかに直接の原因は衛生の悪さ、不潔な育児環境、ホコリとか病気、直射日光や新鮮な空気の不足とかにありますが、さらにその原因を辿れば、そういう環境を改めようとしない、恵まれた環境にある人たちの同胞への利己心、同胞への非人間性に行きつきます。

これは一種の邪心であり、私に言わせれば人間の未熟性を示しています。

そういう利己心を棄て、弱者を食いものにするようなマネをやめ、我欲や野心を生む制度を改めれば、害虫や寄生虫は発生しなくなります」

  


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2017年04月13日

動物は死後どうなるか(7)



問「では下等動物が人間に飼われるということは、その動物はもうすぐ人間に生まれ代わるということを意味するのでしょうか」

「進化にも、突然変異的な枝分かれ、いわゆる前衛と、後もどりする後衛とがあります。

つまり前に行ったり後ろにさがったりしながら全体として進化していきます。

中には例外的なものも生じます。

動物で知的な面でずいぶん遅れているものもいれば、小鳥でも犬より知的に進化しているものがいたりします。

しかしそうした例外と、全体の原理とを混同してはいけません」

問「動物の類魂は同じ種類の動物に何回も生まれ代わるのですか。それとも一回きりですか」

「一回きりです。無数の類魂が次々と生まれ代わっては類魂全体のために体験を持ち帰ります。

動物の場合はそれぞれ一度ずつです。

全体として再生する必要はありません。

それでは進化になりません」

問「われわれ人間としては、犬や猫などのペットと同じように、生物のすべてに対して愛情を向けることが望ましいのでしょうか」

「それはそうです。

しかし同じ反応を期待してはいけません。

愛情は愛情を呼び、憎しみは憎しみを呼ぶというのが原則ですが、進化の程度が低いほど反応も少なくなります。

あなたの心に怒りの念があるということは、それはあなたの人間的程度の一つの指標であり、進歩が足りないこと、まだまだ未熟だということを意味しているわけです。

あなたの心から怒りや悪意、憎しみ、激怒、ねたみ、そねみ等の念が消えた時、あなたは霊的進化の大道を歩んでいることになります」
  


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2017年04月11日

動物は死後どうなるか(6)



問「セオソフィー(神智学)の教えと同じですね」

「何の教えでもよろしい。

私に対して、学派だの宗派だのを口にするのはやめて下さい。

私はそういうものに一切関心がありません。

世の評論家というのはアレコレとよく知っていることをひけらかすだけで、その実、素朴な真理を何一つ知りません。

それはさて措いて、あなた方はまさか蜘蛛(くも)を家の中に持ち込んでペットとして飼ったりはしないでしょう。

カブト虫に温かい人間愛を捧げるようなことはしないでしょう。

それはあなたと、そういう昆虫との間の隔たりを意識するからです。

進化の道程においてはるかに遅れていることを本能的に直感するからです。

一方、犬とか猫、時に猿などをペットとして可愛がるのは、一種の親近感を意識するからです。

もうすぐ人間として生まれ代わってくる段階まで近づいて来ているために、動物の方でも人間の愛を受け入れようとするのです」
  


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