2023年02月15日

霊界から見た〝死〟の意味。



〝生〟を正しい視野で捉えていただきたい。その中で〝死〟が果たしている役割を理解していただきたいと思います。人間はあまりに永いあいだ死を生の終わりと考えて、泣くこと、悲しむこと、悼むこと、嘆くことで迎えてきました。

私どもはぜひとも無知───死を生の挫折、愛の終局、情愛で結ばれていた者との別れとみなす無知を取り除きたいのです。そして死とは第二の誕生であること、生の自然な過程の一つであること、人類の進化における不可欠の自然現象として神が用意したものであることを理解していただきたいのです。

死ぬということは生命を失うことではなく別の生命を得ることなのです。肉体の束縛から解放されて、痛みも不自由も制約もない自由な身となって地上での善行の報いを受け、叶えられなかった望みが叶えられるより豊かな世界へ赴いた人のことを悲しむのは間違いです。

死の関門を通過した人はカゴから放たれた小鳥のようなものです。思いも寄らなかった自由を満喫して羽ばたいて行くのです。人間が死と呼ぶところの看守によって肉体という名の監獄から出させてもらい、(原則として)それまでの肉体に宿っているが故に耐え忍ばねばならなかった不平等も不正も苦しみも面倒もない、より大きな生へ向けて旅立ったのです。霊本来の限りない自由と崇高なよろこびを味わうことになるのです。

苦痛と老令と疲労と憂うつとから解放された人をなぜ悲しむのでしょう。暗闇から脱して光明へと向かった人をなぜ悲しむのでしょう。霊の本来の欲求である探究心を心ゆくまで満足できることになった人をなぜ悼むのでしょう。それは間違っております。

その悲しみには利己心が潜んでいます。自分が失ったものを悲しんでいるのです。自分が失ったものを自分で耐えていかねばならないこと、要するに自分を包んでくれていた愛を奪われた、その孤独の生活を嘆き悲しんでいるのです。

それは間違いです。もしも霊的真理に目覚め、無知の翳(かす)みを拭い落した目でご覧になれば、愛するその方の光り輝く姿が見えるはずです。死は決して愛する者同士を引き離すことはできません。

愛は常に愛する者を求め合うものだからです。あなた方の悲しみは無知から生じております。知識があれば愛する者が以前よりむしろ一段と身近な存在となっていることを確信できるはずです。霊的実在を悟ることから生じるよろこびを十分に味わうことができるはずです。

皆さんもいずれは寿命を完うしてその肉体に別れを告げる時がまいります。皆さんのために尽くして古くなった衣服を脱ぎ捨てる時が来ます。霊が成熟して次の進化の過程へ進む時期が来ると自然にはげ落ちるわけです。

土の束縛から解放されて、死の彼方で待ち受ける人々と再会することができます。その目出たい第二の誕生にまとわりついている悲しみと嘆き、黒い喪服と重苦しい雰囲気は取り除くことです。そして一個の魂が光と自由の国へ旅立ったことを祝福してあげることです。
  


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2023年02月14日

シルバーバーチの霊訓



あなたは物質の世界に生きているために、とかく生命活動を物的なものとして考えがちです。しかし生命の本質は物的なものではありません。生命の基盤は非物質的なものです。物質をいくら分析しても生命の起源は見つかりません。

あなたという存在は物質ではありません。身体は物質でできています。しかし本当のあなたは、触れることも見ることも感知することも聴くこともできません。真実のあなたは〝霊〟なのです。
  


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2023年02月12日

この世とあの世の係りあい。



死後にも生命は存在します。いわゆる〝故人〟も今なお生き続けております。地上圏へ戻ろうと思えば戻れますし、現に戻っております。しかし、ただそれだけの表面上のことだけでこの問題を片づけてはなりません。

なぜ生き続けることができるのか、どういう過程で甦るのか、新しい生活にとってそれまでの生活はどういう影響を及ぼすのか、地上と霊界とはどういうつながりになっているのか、死の門をくぐったあとにどういう体験をしているか───

地上での言動や思想が向上を促しているか足を引っ張っているか、地上の人間に伝えるべき教訓として何を学んでいるか・・・・・・こうしたことが宗教にも科学にも政治にも経済にも芸術にも国際関係にも影響を及ぼすのです。永い間人類を苦しめてきた問題に新たな光を当てることになるからです。

  


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2023年02月10日

自殺について。



自殺行為によって地上生活に終止符を打つようなことは絶対にすべきではありません。もしそのようなことをしたら、それ相当の代償を支払わねばならなくなります。それが自然の摂理なのです。

地上の誰一人として、何かの手違いのために、その人が克服できないほどの障害に遭遇するようなことは絶対にありません。

その障害物は、その人の性格と霊の発達と成長にとって必要だからこそ与えられているのです。苦しいからといって地上生活にさよならしても、その苦しみが消えるわけではありません。それはあり得ないことです。地上であろうと霊界であろうと、神の公正から逃れることはできません。

あなたの魂はあなた自身の行為によって処罰を受けます。みんな自分の手で自分の人生を書き綴っているのです。いったん書き記したものは二度と書き換えるわけにはいきません。ごまかしはきかないのです。自分で自分を処罰するのです。その法則は絶対であり不変です。

いかなる事態も本人が思っているほど暗いものではありません。その気になれば必ず光が見えてきます。魂の奥に沈む勇気が湧き出てきます。責任を全うしようとしたことが評価されて、その分だけ霊界からの援助のチャンスも増えます。

背負い切れないほどの荷はけっして負わされません。なぜなら、その荷は自分の悪業がこしらえたものだからです。けっして神が〝この人間にはこれだけのものを負わせてやろう〟と考えて当てがうような、そんないい加減なものではありません。

宇宙の絶対的な法則の働きによって、その人間がその時までに犯した法則違反に応じて、きっちりとその重さと同じ重さの荷を背負うことになるのです。となれば、それだけの荷をこしらえることが出来たのだから、それを取り除くことも出来るのが道理のはずです。つまり悪いこと、あるいは間違ったことをした時のエネルギーを正しく使えば、それを元通りにすることが出来るはずです。
  


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2023年02月09日

絶対不変の摂理(因果律)



大地が〝実り〟を産み出していく自然の営みの中に、神の摂理がいかに不変絶対であるかの教訓を読み取るべきです。大地に親しみ、大自然の摂理の働きを身近に見ておられる方なら、大自然の仕組みのすばらしさに感心し、秩序整然たる因果関係の営みの中に、そのすべてを計画した宇宙の大精神、すなわち神の御心をいくばくかでも悟られるはずです。

蒔いたタネが実りをもたらすのです。タネは正直です。トマトのタネを蒔いてレタスができることはありません。蒔かれた原因(たね)は大自然の摂理に正直に従ってそれなりの結果(みのり)をもたらします。自然界ついて言えることは人間界についてもそのまま当てはまります。

利己主義のタネを蒔いた人は利己主義の結果を刈り取らねばなりません。罪を犯した人はその罪の結果を刈り取らねばなりません。寛容性のない人、頑(かたくな)な人、利己的な人は、不寛容と頑固と利己主義の結果を刈り取らねばなりません。この摂理は変えられません。永遠に不変です。

発生した原因は数学的・機械的正確さをもって結果を生み出します。聖職者であろうと、聖職者でなかろうと、その大自然の摂理に干渉することはできません。

霊的成長を望む者は霊的成長を促すような生活をするほかはありません。

その霊的成長は思いやりの心、寛容の精神、同情心、愛、無私の行為、そして仕事を立派に仕上げることを通して得られます。言いかえれば内部の神性が日常生活において発揮されてはじめて成長するのです。邪な心、憎しみ、悪意、復讐心、利己心といったものを抱いているようでは、自分自身が犠牲となり、歪んだ、ひねくれた性格という形となって代償を支払わされます。

人間は自分の魂の庭師のようなものです。魂が叡智と崇高さと美しさを増していく上で必要なものは神がぜんぶ用意してくださっております。材料は揃っているのです。あとは各自がそれをいかに有効に使用するかに掛かっております。
  


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2023年02月08日

なぜ苦しみがあるのか。



地上生活の目的は、いよいよ霊界へ旅立つ時が来た時に霊に十分な備えができているように、さまざまな体験を積むことです。まず、この地球へ来るのは、そのためです。地上はトレーニングセンターのようなものです。霊が死後の生活に対して十分な支度を整えるための学校です。

魂の偉大さは苦難を乗り切る時にこそ発揮されます。失意の落胆も、魂のこやしです。魂がその秘められた力を発揮するには、いかなるこやしを摂取すればよいかを知る必要があります。

失意のどん底にある時は、もう全てが終わったかの感じを抱くものですが、実はそこから始まるのです。あなた方にはまだまだ発揮されていない力───それまで発揮されたものより、遥かに大きな力が宿されているのです。

それは楽な人生の中では決して発揮されません。苦痛と困難の中にあってこそ発揮されるのです。金塊もハンマーで砕かないと、その純金の姿を拝むことができないように、魂という純金も、悲しみや苦しみの試練を経ないと出てこないのです。

人間の生活に過ちはつきものです。その過ちを改めることによって魂が成長するのです。苦難や障害に立ち向かった者が、気楽な人生を送っている者よりも大きく力強く成長していくということは、それこそ真の意味でのご利益と言わねばなりません。何もかもがうまくいき、日向ばかりを歩み、何一つ思い患うことのない人生を送っていては、魂の力は発揮されません。

何もかもがうまくいき、鼻歌まじりののん気な暮らしの連続では、神性の開発は望むべくもありません。そこで神は苦労を、悲しみを、そして痛みを用意されるのです。そうしたものを体験して初めて霊的知識を理解する素地ができあがります。

そしていったん霊的知識に目覚めると、その時からあなたはこの宇宙を支配する神と一体となり、その美しさ、その輝き、その気高さ、その厳しさを発揮しはじめることになるのです。

霊的な宝はいかなる地上の宝にも優ります。それはいったん身につけたらお金を落とすような具合になくしてしまうことは絶対にありません。

苦難から何かを学び取るように努めることです。耐え切れないほどの苦難を背負わされるようなことは絶対にありません。何らかの荷を背負い、困難と取り組むということが、旅する魂の本来の姿なのです。

それはもちろん楽なことではありません。しかし魂の宝は、そうやすやすと手に入るものではありません。もしも楽に手に入るものであれば、なにも、苦労する必要などないでしょう。

痛みと苦しみの最中(さなか)にある時は、なかなか、その得心がいかないものですが、必死に努力し苦しんでいる時こそ、魂にとって、いちばんの薬なのです。
  


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2023年02月06日

スピリチュアリズムとは?



スピリチュアリズムとは信仰ではありません。人間とは本来は霊的存在であるということ、我々は神の不変の法則のもとで生きているということを知る〝知識〟なのです。

神はこの宇宙を不変の法則によって支配し顕現していくように定めました。宇宙のあらゆる側面が法則によって治められているのです。この物的地上界であろうと、人間に感知できない、それよりはるかに大きな霊界であろうと、法則が行き届かないというところはどこにもありません。
  


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2023年02月05日

時として人生が不公平に思えることがあります。



時として人生が不公平に思えることがあります。ある人は苦労も苦痛も心配もない人生を送り、ある人は光を求めながら生涯を暗闇の中を生きているように思えることがあります。しかしその見方は事実の反面しか見ておりません。

まだまだ未知の要素があることに気づいておりません。私はあなた方に比べれば遥かに永い年月を生き、宇宙の摂理の働き具合を遥かに多く見てまいりましたが、私はその摂理に絶対的な敬意を表します。神の摂理がその通りに働かなかった例を一つとして知らないからです。
  


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2023年02月03日

シルバーバーチの霊訓



人間的存在としての神は人間がこしらえたもの以外には存在しません。人間的存在としての悪魔も人間がこしらえたもの以外には存在しません。黄金色に輝く天国も、火焔もうもうたる地獄も存在しません。そうしたものは全て、視野を限られた人間の想像的産物にすぎません。

神は法則なのです。それさえ理解すれば、人生の最大の秘密を学んだことになります。なぜなら、世の中が不変にして不可変、全智全能の法則によっておさめられていることを知れば、絶対的公正が間違いなく存在し、宇宙の創造活動の大機構の中にあって一人として忘れ去られることがないことを知ることになるからです。
  


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2023年02月01日

シルバーバーチの霊訓



私はすでに多くの方が直感的に、あるいは理性的・論理的に理解しておられる単純な真理を改めて説いているに過ぎません。その真理の仕入れ先は霊界です。しかもその上層界です。そこではすべての人が実在を目のあたりにします。

原因と結果とが即座に働き、他への思いやりの多い人が少ない人より偉い人とされ、地上時代の見栄や肩書はすべてはぎ取られ、魂がまる裸にされて、長所も短所も衆目にさらされてしまいます。そういう世界で学んだことをお届けしているのです。

  


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