2023年12月13日
シルバーバーチの霊訓

「痛みも苦しみもない人生、辛苦も悲哀もない人生、常に日向を歩き、日陰というものがない人生を送る人は、地上には一人もいません。少なくともわたしは、そういう人を知りません」
すると、こういう質問が出された。
「もしも人格の陶冶にとって苦難が不可欠のものであるとしたら、苦しむことを知らない人たちがいるのは一種の不公平であるように思えますが……」
「苦しむことを知らない人がいる――それはどなたがおっしゃったのでしょうか。苦しみというものは必ずしも第三者の目に見える外面的なものばかりとはかぎりません。心が、精神が、魂が、その内奥で感じるのが本当の苦しみです。人間生活を日常のうわべの現象だけで判断してはなりません。それをどう受け止めていくかは、魂の問題です」
「苦難がそれほど大切なものであり、霊的進化にとって不可欠のものならば、なぜあなたは人の苦しみを和らげてあげる行為を奨励なさるのでしょうか」
「おっしゃる通り、わたしはそのことを大いに奨励いたします。ですが、よろしいですか、わたしは、いつの日かこの地上から全ての苦の要素が取り除かれて完璧な世界となると想像するほど愚かではありません。生命の進化は限りなく続くのです。わたしは三千年を生きてきた今、そう悟っているのです。その無限の階梯を登り続けるには、刻一刻と絶え間なく進化していかねばなりません。そして、その進化とは、不完全なものが少しずつ完全になっていくということを意味するのですから、それは当然、苦を伴う過程であるはずです。
そのこととは別に、同じく苦しむのでも、地上には無用の苦しみが多すぎるという事実を指摘したいのです。みずから背負(しょ)い込んでいる苦しみ、みずから好んで無知と愚かさの道を選んだために引き起こしている苦しみ、偏見が生み出している苦しみ、迷信に捉われているために生じている苦しみ――わたしが取り除きたいのは、そうした無くもがなの苦しみです。しかし人間は、本来が進化の要素を秘めた存在ですから、光明へ向けての葛藤の絶えることはありません。何事につけ、創造の過程には苦しみはつきものなのです。
問題は、人間の多くが、自分が今置かれている境遇に不満をかこつばかりで、過去の生活を冷静に振り返り、不満に思える現在の境遇から一歩離れて冷静に反省すれば、この世はすべて闇だ、イヤなことばかりだと思えたその時期こそ、霊的に最も大きく成長していたことが分かるということを、なかなか悟ってくれないことです」
「しかし、場合によっては、苦しみの体験が性格をいじけさせることもあります」
「それは、その体験が魂の本性を引き出すまでに至らなかったということです。それまでに顕現していた側面が、苦難の体験後もまだ真実の自我とはなっていないということです。実在がまだ顔を出していないのです」
Posted by クルト at
15:49
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