2022年02月01日

シルバーバーチの霊訓

シルバーバーチの霊訓

(71)自分がいかなる存在であるのか、何のためにこの世にいるのかについての正しい認識を失わぬようにしてください。あなた方のようにふんだんに霊的知識に恵まれた方でも、どうかすると毎日の雑事に心を奪われて霊的実相を忘れてしまいがちです。が、それだけは絶対に忘れないようにしなければなりません。

地上という物的世界において生活の拠り所とすべきものはそれ以外にはないのです。霊こそ実在です。物質は実在ではないのです。あなた方はその実在を見ることも触れてみることも感じ取ることもできないかも知れません。少なくとも物的感覚で感識している具合には感識できません。

しかし、やはり霊こそすべての根源であることに変わりありません。あなた方は永遠の存在であることを自覚してください。生命の旅路においてホンの短い一時期を地上で過ごしている巡礼者に過ぎません。


(72)治療家としてこの世に生を受けたのは、その仕事を通じて神の計画の遂行に参加し、自分が何であるかも自覚せず、何のために地上に生まれてきたのかも知らず、従って何を為すべきかも知らずに迷っている神の子等に永遠の真理、不変の実在を教えてあげるためです。

これは何にも勝る偉大な仕事です。たった一人でもよろしい。治療を通して霊的真理に目覚めさせることができたら、あなたの地上生活は無駄でなかったことになります。一人でいいのです。それであなたの存在意義があったことになります。


(73)あなた方人間は物的身体を通して自我を表現している霊魂です。霊魂に霊的法則があるように、身体には生理的法則があります。その法則の働きによって身体に何らかの影響が表れたとすれば、それも原因と結果の法則が働いたことを意味します。

私たちは霊力によって手助けすることはできても、その法則の働きによる結果に対しては干渉できません。要するに奇跡は起こせないということです。大自然の因果律は変えられないということです。神は摂理として、その霊力によって創造した宇宙で一瞬の休みもなく働いております。

すべてを包摂しており、木の葉一枚落ちるのにも摂理の働きがあります。ありとあらゆる治療法を試みてなお治らなかった患者が、もし心霊治療によって見事に治ったとしたら、それは奇跡ではなく霊的法則が働いた証と考えるべきです。


(74)人間の健康を動物の犠牲のもとに獲得することは神の計画の中にはありません。全ての病気にはそれなりの治療法が用意されております。その神の用意された自然な方法を無視して動物実験を続ける限り、人間の真の健康と福祉は促進されません。

動物はそんな目的の為に地上に生を受けているのではありません。真の健康は調和です。精神と霊と肉体の正しい連係関係です。三つの機能が一体となって働くということです。これは動物を苦しめたり体内から特殊成分を抽出したりすることによって得られるのではありません。


(75)身体が病むということは、精神か霊のいずれかに不自然なところがあることを意味します。霊が正常で精神も正常であれば、身体も正常であるはずです。身体に出る症状はすべて霊と精神の反映です。

これを医学では心身相関医学などと呼ぶようですが、名称はどうでもよろしい。大切なのはいつの時代にも変わらぬ真理です。魂が病めば身体も病みます。魂が健康であれば身体も当然健康です。身体の治療、これは大切ではありません。魂の治療、これが大切なのです。


(76)私たちが地上の人々にもたらすことのできる最高の霊的知識は人生が〝死〟をもって終了するのではないこと。したがって苦しい人生を送った人も失敗の人生を送った人も屈辱の人生を送った人も、みなもう一度やり直すことができるということ、言いかえれば悔し涙を拭うチャンスが必ず与えられるということです。人生は死後もなお続くのです。

永遠に続くのです。その永遠の旅路の中で人間は内在している能力、地上で発揮し得なかった才能を発揮するチャンスが与えられ、同時に又、愚かにも摂理を無視し他人への迷惑も考えずに横柄に生きた人間には、その悪業の償いをするチャンスが与えられます。


(77)宗教家とか信心深い人は霊的に程度が高いという考えが、人間を永いあいだ迷わせてきたようです。実際は必ずしもそうとは言えないのです。ある宗教の熱烈な信者になったからといって、それだけで霊的に向上するわけではありません。大切なのは日常生活です。あなたの現在の人間性、それがすべてのカギです。

祭壇の前にひれ伏し、神への忠誠を誓い、〝選ばれし者〟の一人になったと信じている人よりも、唯物論者や無神論者、合理主義者、不可知論者といった、宗教とは無縁の人の方がはるかに霊格が高いというケースがいくらもあるのです。問題は何を信じるかではなく、これまで何を為してきたかです。そうでないと神の公正が根本から崩れます。


(78)いわゆる因果律というのは必ずしも地上生活中に成就されるとは限りません。しかしいつかは成就されます。必ず成就されます。原因があれば結果があり、両者を切り離すことはできないのです。しかし、いつ成就されるかという時期の問題になると、それは原因の性質いかんに係わってきます。

すぐに結果の出るものもあれば、地上生活中には出ないものもあります。その作用には情状酌量といったお情けはなく、機械的に作動します。罪を犯すとその罪がその人の霊に記録され、それ相当の結果を生み、それだけ苦しい思いをさせられます。

それが地上生活中に出るか否かは私にも分かりません。それはさまざまな事情の絡んだ複雑な機構の中で行われるのですが、因果律の根本の目的が永遠の生命である〝霊の進化〟にあることだけは確かです。


(79)人間生活には三つの側面があります。まず第一に霊であり、次に精神であり、そして肉体です。人間としての個性を存分に発揮するようになるのはこの三つの側面の存在を認識し、うまく調和させるようになった時です。

物的世界にのみ意識を奪われ、物的感覚にしか反応を示さぬ人間は、精神的ならびに霊的な面においてのみ獲得される、より大きい、より深い、より美しい喜びを味わうことはできません。

反対に精神的なもの、霊的なものばかりの瞑想的生活から生まれる内的満足のみを求め、この世の人間としての責務をおろそかにする人間は、一種の利己主義者です。


(80)人間にとって最大の恐怖は死でしょう。それが少しも怖いものでないことを知り、生命が永遠の存在であり、自分も永遠の存在であり、あらゆる霊的武器を備えていることを知っていながら、なぜ将来のことを心配なさるのでしょう。

不幸の訪れの心配は、その不幸そのものより大きいものです。その心配の念が現実の不幸より害を及ぼしております。



上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
シルバーバーチの霊訓
    コメント(0)