2024年11月11日

不安について。



恐れ、疑惑、心配、不安、こうした邪念は霊界の者が人間に近づく唯一の道を閉ざしてしまいます。

これらの念はあなたの霊的大気であるオーラの働きを阻害し、その心霊的波長を乱します。その障害を取り除くまでは生命力が流れ込みません。

神の計画は完全であり、あなたもその計画の中に組み込まれているのです。あなたも自分自身を完成しなくてはいけません。

いかなる人間も自分で解決できないほどの問題は決して与えられません。克服できないほど大きな障害は生じません。混乱の中にあって冷静さを失わず、心を平静に保ち、精神的に統一状態を維持することが出来れば、内在する霊力が呼び覚まされて勇気と知恵を与えてくれます。それを可能にするのは、あなた方の心掛け一つにかかっています。
  


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2024年11月10日

消えない宝。



人のために自分を役立てることは尊い行為です。あなたの望み通りの分野で仕事ができなくても、人のためになると思うことを、その時その時に行えばよいのです。

地上の価値判断の基準は死後の世界とは異なります。地上では〝物〟を有難がり大切にしますが、死後の世界では全く価値を認めません。人間が必死に求めようとする地位や財産や権威や権力にも重要性を認めません。そんなものは死とともになくなるのです。

が、他人のために施した善意は決して消えません。なぜなら善意を施す行為に携わることによって霊的成長が得られるからです。博愛と情愛と献身から生まれた行為は、その人の性格を増強し魂に消えることのない印象を刻み込んでいきます。
  


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2024年11月09日

人間としてなすべきこと。



どういう種類のことであってもいいのです、自分の能力を伸ばして他人への援助や啓発のために活用する──それが我々のなすべきことです。

すべての人間は、なすべき何らかの仕事があって、この物質界に誕生して来たのです。時には内省の時をもって、果たしてこれが自分にとっての本当の仕事なのだろうか、世の中を啓発する上で少しでも役に立っているだろうか、知識の蓄積を怠っていないだろうか、獲得した霊的真理を人に分け与える努力をしているだろうか、これで最善を尽くしていると言えるのだろうか──正直に自分にそう問いかけてみることです。そうすれば自ずと答えが出てまいります。

自分に正直になり、最善を尽くす──それだけでいいのです。自分は今何をなすべきかを素直に認識するだけでいいのです。その心掛けを日常生活で徹底させれば、決して道を誤ることはありません。この物質界に誕生してきた目的を成就させていることになるのです。
  


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2024年11月07日

つい忘れがちですが。



自分がいかなる存在であるのか、何のためにこの世にいるのかについての正しい認識を失わぬようにしてください。ふんだんに霊的知識に恵まれた方でも、どうかすると毎日の雑事に心を奪われて霊的実相を忘れてしまいがちです。が、それだけは絶対に忘れないようにしなければなりません。地上という物的世界において生活の拠り所とすべきものはそれ以外にないのです。
 
霊こそ実在です。物質は実在ではないのです。あなた方はその実在を見ることも触れてみることも感じ取ることもできないかも知れません。少なくとも物質的感覚で感識している具合には感識できません。しかし、やはり霊こそすべての根源であることに変わりありません。

あなた方は永遠の存在であることを自覚してください。生命の旅路においてホンの短い一時期を地上で過ごしている巡礼者にすぎません。

勇気をもって進みなさい。落胆や失敗がないというのではありません。これからも数多くの失敗と落胆があることでしょう。

しかし、いかなる事態にあってもあなたの背後には、困難に際しては情熱を、疲れた時には元気を、落胆しそうな時には励ましを与えてくれる霊が控えてくれていることを忘れてはなりません。

一人ぼっちということは決してないということです。大霊(神)が使者を派遣して下さっております。私(シルバーバーチ)もその中の一人です。
  


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2024年11月06日

まず正直から。



世間でいう〝成功者〟になるかならないかは、どうでもよいことです。この世的な成功によって手に入れたものは、そのうち、あっさりと価値を失ってしまいます。

大切なのは自分の霊性の最高のものに対して誠実であること、自分でこれこそ真実であると信じるものに目をつぶることなく、本当の自分自身に忠実であること、良心の命令に素直に従えることです。

これさえできれば、世間がどう見ようと、自分は自分としての最善を尽くしたのだという信念が湧いてきます。

そして、いよいよ地上生活に別れを告げる時が来た時、死後に待ちうける生活への備えが十分にできているという自信をもって、平然として死を迎えることができます。
  


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2024年11月04日

亡くなるということ。



死は、霊に準備が出来た時に訪れます。それはリンゴが熟すると木から落ちるのと同じです。

まだ熟し切らないうちにもぎ取れば、そのリンゴは食べられません。霊も十分な準備が出来ないうちに身体から無理やり離されると、それなりのペナルティが課せられます。

一人ひとりに生まれるべき時があり死ぬべき時があります。それもすべて自然の摂理の一環なのです。

人間はあまりに永いあいだ、死を生の終わりとして考えて、泣くこと、悲しむこと、悼むこと、嘆くことで迎えてきました。死を生の挫折、愛の終局、情愛で結ばれていた者との別れと見なさず、死とは第二の誕生であること、生の自然な過程の一つであること、人類の進化における不可決の自然現象として神が用意したものであることを理解していただきたいのです。

死ぬということは生命を失うことではなく別の使命を得ることなのです。

そもそも人間は死んでから霊となるのではなくて、もともと霊であるものが地上へ肉体をまとって誕生しただけであって、その束の間の生活のためではなく、霊界という本来の住処へ戻ってからの生活のために備えた発達と開発をするために地上へ来ただけなのですから、死後も生き続けて当たり前なのです。

元の出発点へ帰るということであり、地上のものは地上に残して、宇宙の大機構の中であなたなりの役目を果たすために、霊界でそのまま生き続けるのです。

皆さんもいずれは寿命を全うして、その肉体に別れを告げる時がまいります。皆さんのために尽くして古くなった衣服を脱ぎ棄てる時が来ます。霊が成熟して次の進化の過程へ進む時期が来ると自然にはげ落ちるわけです。

土の束縛から解放されて、死の彼方で待ちうける人々と再会することができます。その目出たい第二の誕生にまとわりついている悲しみと嘆き、黒い喪服と重苦しい雰囲気は取り除くことです。そして一個の魂が光と自由の国へ旅立ったことを祝福してあげるべきです。

シルバーバーチの霊訓 「自殺の問題」

https://silverbirch.ashita-sanuki.jp/e1354051.html
  


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2024年11月03日

自殺について。



自殺行為によって地上生活に終止符を打つようなことは絶対にすべきではありません。もしそのようなことをしたら、それ相当の代償を支払わねばならなくなります。それが自然の摂理なのです。

地上の誰一人として、何かの手違いのために、その人が克服できないほどの障害に遭遇するようなことは絶対にありません。

その障害物は、その人の性格と霊の発達と成長にとって必要だからこそ与えられているのです。苦しいからといって地上生活にさよならしても、その苦しみが消えるわけではありません。それはあり得ないことです。地上であろうと霊界であろうと、神の公正から逃れることはできません。

あなたの魂はあなた自身の行為によって処罰を受けます。みんな自分の手で自分の人生を書き綴っているのです。いったん書き記したものは二度と書き換えるわけにはいきません。ごまかしはきかないのです。自分で自分を処罰するのです。その法則は絶対であり不変です。

いかなる事態も本人が思っているほど暗いものではありません。その気になれば必ず光が見えてきます。魂の奥に沈む勇気が湧き出てきます。責任を全うしようとしたことが評価されて、その分だけ霊界からの援助のチャンスも増えます。

背負い切れないほどの荷はけっして負わされません。なぜなら、その荷は自分の悪業がこしらえたものだからです。けっして神が〝この人間にはこれだけのものを負わせてやろう〟と考えて当てがうような、そんないい加減なものではありません。

宇宙の絶対的な法則の働きによって、その人間がその時までに犯した法則違反に応じて、きっちりとその重さと同じ重さの荷を背負うことになるのです。となれば、それだけの荷をこしらえることが出来たのだから、それを取り除くことも出来るのが道理のはずです。つまり悪いこと、あるいは間違ったことをした時のエネルギーを正しく使えば、それを元通りにすることが出来るはずです。
  


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2024年11月02日

タネ蒔きと収穫(絶対不変)の摂理



大地が〝実り〟を産み出していく自然の営みの中に、神の摂理がいかに不変絶対であるかの教訓を読み取るべきです。大地に親しみ、大自然の摂理の働きを身近に見ておられる方なら、大自然の仕組みのすばらしさに感心し、秩序整然たる因果関係の営みの中に、そのすべてを計画した宇宙の大精神、すなわち神の御心をいくばくかでも悟られるはずです。

蒔いたタネが実りをもたらすのです。タネは正直です。トマトのタネを蒔いてレタスができることはありません。蒔かれた原因(たね)は大自然の摂理に正直に従ってそれなりの結果(みのり)をもたらします。自然界ついて言えることは人間界についてもそのまま当てはまります。

利己主義のタネを蒔いた人は利己主義の結果を刈り取らねばなりません。罪を犯した人はその罪の結果を刈り取らねばなりません。寛容性のない人、頑(かたくな)な人、利己的な人は、不寛容と頑固と利己主義の結果を刈り取らねばなりません。この摂理は変えられません。永遠に不変です。

発生した原因は数学的・機械的正確さをもって結果を生み出します。聖職者であろうと、聖職者でなかろうと、その大自然の摂理に干渉することはできません。

霊的成長を望む者は霊的成長を促すような生活をするほかはありません。

その霊的成長は思いやりの心、寛容の精神、同情心、愛、無私の行為、そして仕事を立派に仕上げることを通して得られます。言いかえれば内部の神性が日常生活において発揮されてはじめて成長するのです。邪な心、憎しみ、悪意、復讐心、利己心といったものを抱いているようでは、自分自身が犠牲となり、歪んだ、ひねくれた性格という形となって代償を支払わされます。

人間は自分の魂の庭師のようなものです。魂が叡智と崇高さと美しさを増していく上で必要なものは神がぜんぶ用意してくださっております。材料は揃っているのです。あとは各自がそれをいかに有効に使用するかに掛かっております。
  


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2024年11月01日

なぜ苦しみがあるのか。



地上生活の目的は、いよいよ霊界へ旅立つ時が来た時に霊に十分な備えができているように、さまざまな体験を積むことです。まず、この地球へ来るのは、そのためです。地上はトレーニングセンターのようなものです。霊が死後の生活に対して十分な支度を整えるための学校です。

魂の偉大さは苦難を乗り切る時にこそ発揮されます。失意の落胆も、魂のこやしです。魂がその秘められた力を発揮するには、いかなるこやしを摂取すればよいかを知る必要があります。

失意のどん底にある時は、もう全てが終わったかの感じを抱くものですが、実はそこから始まるのです。あなた方にはまだまだ発揮されていない力───それまで発揮されたものより、遥かに大きな力が宿されているのです。

それは楽な人生の中では決して発揮されません。苦痛と困難の中にあってこそ発揮されるのです。金塊もハンマーで砕かないと、その純金の姿を拝むことができないように、魂という純金も、悲しみや苦しみの試練を経ないと出てこないのです。

人間の生活に過ちはつきものです。その過ちを改めることによって魂が成長するのです。苦難や障害に立ち向かった者が、気楽な人生を送っている者よりも大きく力強く成長していくということは、それこそ真の意味でのご利益と言わねばなりません。何もかもがうまくいき、日向ばかりを歩み、何一つ思い患うことのない人生を送っていては、魂の力は発揮されません。

何もかもがうまくいき、鼻歌まじりののん気な暮らしの連続では、神性の開発は望むべくもありません。そこで神は苦労を、悲しみを、そして痛みを用意されるのです。そうしたものを体験して初めて霊的知識を理解する素地ができあがります。

そしていったん霊的知識に目覚めると、その時からあなたはこの宇宙を支配する神と一体となり、その美しさ、その輝き、その気高さ、その厳しさを発揮しはじめることになるのです。

霊的な宝はいかなる地上の宝にも優ります。それはいったん身につけたらお金を落とすような具合になくしてしまうことは絶対にありません。

苦難から何かを学び取るように努めることです。耐え切れないほどの苦難を背負わされるようなことは絶対にありません。何らかの荷を背負い、困難と取り組むということが、旅する魂の本来の姿なのです。

それはもちろん楽なことではありません。しかし魂の宝は、そうやすやすと手に入るものではありません。もしも楽に手に入るものであれば、なにも、苦労する必要などないでしょう。

痛みと苦しみの最中(さなか)にある時は、なかなか、その得心がいかないものですが、必死に努力し苦しんでいる時こそ、魂にとって、いちばんの薬なのです。
  


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2024年10月31日

神とは何か。



大自然の仕組みの美事な芸術性、ダイヤモンドの如き夜空の星の数々、太陽のあの強烈な輝き、名月のあの幽玄な輝き、あたかも囁(ささや)きかけるようなそよ風、それを受けて揺れる松の林、さらさらと流れるせせらぎと、怒涛(どとう)の大海原に目を向けさせ、そうした大自然の一つ一つの動きが確固とした目的を持ち、法則によって支配されていることを指摘します。

そして更に人間がこれまで自然界で発見したものはすべて法則の枠内に収まること、自然界の生成発展も法則によって支配され規則されていること、その全体に人間の想像を絶した広大にして入り組んだ、それでいて調和した一つのパターンがあること、全大宇宙のすみずみに至るまで秩序が行き亘っており、惑星も昆虫も嵐もそよ風も、その他あらゆる生命活動が───いかに現象が複雑をきわめていても───その秩序によって経綸されていることを説いて聞ませます。

そう説いてから私は、その背後の力、すべてを支えているエネルギー、途方もなく大きい宇宙の全パノラマと、人間にはまだ知られていない見えざる世界までも支配している奇(くしび)な力、それを神と呼ぶのだと結びます。
  


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