2022年04月06日
シルバーバーチの霊訓

七章 善悪と公正①
(1)(善悪の基準について問われて) それは一人ひとりの問題です。一人ひとりの霊的自我の中に絶対に誤ることのない判定装置(モニター)が組み込まれているのです。
正常な人間であるかぎり、言い変えれば精神的・知的に異常または病的でないかぎり、自分の行動と思考を監視する絶対に誤ることのない装置が内蔵されております。いわゆる道義心です。
考えること、口にすること、行うことを正しく導く不変の指標です。それがいかなる問題、いかなる悩みに際しても、そのつど自動的に、直感的に、そして躊躇することなく、あなたの判断が正しいか間違っているかを告げます。
それを人間は時として揉み消し、時として言い訳や屁理屈で片づけようとします。しかし、真の自我はちゃんと分かっているのです。
(2)自分で正しいと思うこと、良心が指図することを忠実に実行しないといけません。最後は自分が自分の裁判官となります。振り返ってみると正しかったこともあれば間違ったことをしていることもあります。しかし、動機が人のためということであれば、たとえ間違っていても咎められることはありません。動機が何よりも考慮の対象となります。
(3)何事も動機がその価値を決めます。慈善事業(チャリティ)に気前よく大金を寄付する億万長者は、その行為によって少しも霊性は伸びません。反対に、これは絶対に意義があると信じて無い金をはたいて援助する人は、その動機ゆえに霊性が伸びます。
苦しむ人を見て止むに止まれぬ気持ちになるのは霊的属性の一つです。愛・情愛・友愛・同情・哀れみ・親切心・奉仕の精神は霊の属性です。それらを表現している時あなたは霊的自我を表現していることになります。
(4)あなた方が道徳的だと考えていることが私たちから見ると非道徳的である場合があります。そこに物の見方の問題があります。私にとって道徳とは、その人がそれまでに悟った最高の原理に忠実に行動しようという考えを抱かせる、努力目標のことです。それは親切であろうとすることであり、手助けをしようということであり、人の心を思いやることです。
(5)私は〝悪〟とは同じエネルギーの用途を誤っていることだから許すべきではないという考え方をとります。あなたが〝悪い奴ら〟と思っている人間は未熟な人間ということです。その人達が表現しているエネルギーは成長と改善の為にも使用できるのです。
自分から〝悪人になってやろう〟 〝利己主義者になってやろう〟と思って悪人や利己主義者になる人は滅多にいるものではありません。悪い人間というのは霊的成長における幼児なのです。
聞き分けのない子供みたいなものです。目に見え手に触れるものだけがすべてだと考え、したがって物的世界が提供するものをすべて所有することによってしか自分の存在を主張できない哀れな人間なのです。利己主義とは利他主義が方向を間違えたに過ぎません。
(6)〝悪〟とは何かということを見極めておく必要があります。地上生活の究極の目的は〝死〟と呼ばれている現象のあとに待ちかまえている次の生活舞台(ステージ)に備えて、内部の霊性を開発することにあります。開発するほど洞察力が深まります。霊性が開発され進歩するにつれて自動的に他人に対して寛大になり憐みを覚えるようになります。
これは、悪や残忍さや不正に対して寛大であれという意味ではありません。 相手は自分より知らないのだという認識から生まれる一種の〝我慢〟です。人間は往々にして自分のしていることの意味が分からずに、まったくの無知から行為に出ていることがあるものです。そこがあなたの我慢のしどころです。
それは悪を放任し黙認してしまうことではありません。それは我慢ではなく目の前の現実に目をつむることです。真の意味の寛大さには洞察力が伴います。そして、いつでも援助の手を差し伸べる用意ができていなければなりません。
(7)霊的摂理に反した行為が罪であって、人間がこしらえた教義を無視したからといって必ずしも罪にはなりません。結婚生活においても霊的な伴侶とはいえない夫婦がいます。
もしもその夫婦が霊的に傷つけ合えば罪になることもあります。問題は視点を何処に置くかによって違ってきます。常に霊的真理を基準にして判断すれば、答えは簡単に出るものです。
(8)故意に悪いことをするよりも無知から犯す間違いの方が多いものです。全体からすれば〝悪人〟といえるほどの人間はごく少数派に属します。些細なしくじりを裁くために大ナタをふるうようなことは慎まねばなりません。
そういう人を憎むということは、それも罪を犯していることになります。良心が咎めることをするのは全て霊的摂理に反します。
(9)罪悪はそれを犯す側とそれを受ける側の双方を傷つけます。その原因は往々にして故意ではなく、無知・かんしゃく・せっかちから犯しているものです。自制心を欠き、冷静さを失っているわけです。あとになって〝しまった〟と思うようなことを考え、口に出し、行っているものです。
(10)最大の罪は他人を身体的のみならず精神的にそして霊的に傷つけることです。他人へは常に善意で接し、いつでも援助の手が差し伸べられるようでないといけません。その手が拒絶されたら、折角のチャンスを自ら拒絶したその人を気の毒に思ってあげなさい。
(11)世間がどう言おうと、まわりの人が何と言おうと、自分で正しいと思うことをしなさい。その方が都合が良いとか得策だからではなく、心の奥でかくあるべきと確信したこと、良心がそう命じていることを実行すればよいのです。
いたって簡単なのです。ところが人間はなぜか複雑なこと、ややこしいことを好みます。もう当たり前になってしまった単純素朴なことは毛嫌いします。私はあくまでも良心の命じるままに従いなさいと申し上げます。良心こそ神の声であり、善と悪とを選り分け、進むべき道を指示します。
(12)良心が命じていることは、たとえその方向へ進むと苦難に遭遇することが分かっていても、迷わずに従いなさい。最後にきっといいようになります。難しく考えることはないのです。これ以上簡単な話はありません。
(13)決断を下さなければならない事態に立ち至った時は、それが特定の少数の人ではなく、全部の人、あるいはなるべく多くの人にとって益になることを動機として判断しなさい。
Posted by クルト at
06:04
│Comments(0)