2022年04月15日

「死んだあと、どうなるのか」④



 (質問者が代わる)

───霊界でピアノを習いたいときはやはり練習が必要なのでしょうか。

 もちろんです。何もしないで身に付くものはありません。霊界には各自の才能に応じて指導してくださる立派な先生が大勢います。地上において経済的理由や社会的環境の為に発揮できなかった才能を持つ新参者は、霊界へ来てから驚くほど素晴らしい機会を与えられることがよくあります。霊界では、なにものにも束縛されることなくそれを最高度に発揮することができます。


───睡眠の必要がないそうですが。休息とか寛ぎの時間はありますか。

 あります。寛ぐ必要を感じたら寛ぎます。


───霊体はどうやって養いそして維持するのでしょうか。

 食べ物によって養う必要のある物質的身体ではありません。


───霊的な栄養はありますか。

 あります。摂取すべき霊的エネルギーがすべて揃っています。霊は無限です。


───こうしたことは無論そちらへ行くまでは理解できないことなのでしょうね。

 その通りです。こちらへお出でになれば、今度は私と同じように、それを地上の人に説明する難しさを知ります。


───ここにいる私が、死後はあなた方と同じ世界へ行くことは疑う余地もなく理解しております。あなたのお陰でその事実に途方もなく大きな意味があることを知りました。その意義を地上にいる間に実現しなければなりません。

また私たち人間には何らかの霊的才能が宿されていて、それを地上において発達させるのが私たちの義務であることも知りました。私たちは地上では大たい以上のように理解するのが精一杯であると考えてよろしいでしょうか。

 非物質的な霊の世界のことを物質界の言語で表現できないのは、あなた方の思考そのもの、あなた方の精神的概念のすべてが、その言語によって規制され、意識がその三次元の地上界だけに縛られているからです。

 五感もそれ自体は素晴らしいものですが、現実にはそれが外界から摂取するものを制限し、また摂取したものの理解を制約しています。

霊覚者は表面の生命活動の裏側にある大きな実在を霊覚によって認識しますが、それを伝えようとすると言語の無力さを痛感します。言語は人間がこしらえたものであり、インスピレーションはその言語を超越したものだからです。


───霊界の各界層間の連絡はどのようにして行うのでしょうか。

 今も申し上げた通り、そうした質問にお答えする上で問題なのは、言語を超越した実在を言葉によって表現しなければならないということです。〝界層〟という用語自体がまず問題です。皆さんは地球の表面のようなところを想像なさるのでしょうが、実際はただの〝状態〟であり、〝段階〟の一つです。

 霊界は段階的に上下の差があります。一つの段階はすぐ上と下の段階と融合してつながっており、それが限りなく続いております。明確な境界線が引かれているわけではありません。地理的な区域というものはないのです。

 ある界からそれより高い界へ一方的に通信を送ることは出来ません。が、高い界から低い界へ向けて通信を送ることはできます。その方法は以心伝心によります。言葉はしゃべりません。音声を発するための物的な器官がないからです。思念対思念による交信です。


 ───すると霊界には思念のプライバシー(秘密)はないわけですか。

 ありません。私たちの世界では何一つ隠すことができません。すべてが知れてしまうからです。だからといって、別に恥ずかしく思うことはありません。地上ではごまかし、ウソをつき、だますことができます。名前を合法的に変えることもできます。が、本性を変えるわけにはまいりません。


(招待客が自分のホームサークルに出てくる霊の中には歴史上の著名な人物の名を名のるのがいることを述べると───)

  私たちの世界では名前は何の意味もありません。地上時代の名声は何の価値もありません。魂の価値は地上時代の肩書ではなく、何を為したかによって自ら裁き、それが現在の個性を形成しているのです。霊界での唯一のパスポートは魂の発達程度です。それが衆目に赤裸々にさらされるのです。

 ごまかすことはできません。ウソをつくこともできません。見せかけも通じません。こちらへ来ると地上時代の仮面が剥ぎ取られ、あるがままの姿が知れてしまいます。魂の霊的発達程度が誰の目にも分かります。

 名声が何になりましょう。子供のオモチャのようなものにすぎません。何の価値もありません。そもそも名声はどうやって得られるかを考えてごらんなさい。お金があるとか世間的に出世したということで名が知れたにすぎません。イエスはそういう名声は一切求めませんでした。先師、聖者、先駆者、改革者と言われる人は名声を求めたでしょうか。

 大切なのはどれだけ人のためになることをしたかであって、その人の名前ではありません。ですから、いわゆる有名人の名前を名のって出る霊には気をつけた方がよろしい。判断の規準は何と名のっているかではなくて、どういう態度でどんなことを説いているかです。

 いつもお願いしているように、もしも私の言っていることにあなた方の知性を侮辱し理性を反発させるようなところがあったら、遠慮なく拒絶なさってください。愛の心で接し真理の核印を押されたものを説きながら、それで皆さんの魂に訴えることが出来なかったら、それは私達霊団の努力は失敗に終わったことを意味します。
  


Posted by クルト at 06:19Comments(0)